マスコミ被害の早期解決例
初 動 が 勝 負


弁護士 日隅一雄
報道被害救済弁護士ネットワーク所属


1.11月5日:名誉毀損記事の掲載
  2001年11月5日、北海道のある地方紙の社会面トップに名誉毀損被告事件の記事が大きく掲載された。 事件自体は、ある男性が女性 (被害者) とのトラブルの結果、 逃げた女性の行方を探すため、尋ね人のチラシを配付したことが女性の名誉を毀損したというものであった。 しかし、記事は、二人が出会ったのがテレクラである、 女性が被告人から金を借りた後で行方をくらませたなどと誤った情報を載せつつ、 被告人の肩を一方的に持つものとなっていた。この結果、 一般読者に、被害者であるはずの女性の方こそ道義的に非難されるべきではないかという誤った印象を抱かせた。 すなわち、名誉毀損事件報道によって、被害者の名誉が再び毀損されたのである。

2.11月6日:被害者からの相談
  被害者は自分で新聞社に抗議したが、 新聞社は法廷でのやりとりをきちんと取材して書いたもので誤っていないと突っぱねた。 また、地元の弁護士に相談したが、多忙あるいは専門外等を理由に事件を受任することを断られた。 そこで、被害者は、自ら提訴すべく、インターネットで情報を探した。 その際、「報道被害」 というキーワードで検索に引っかかったのが、 東京を中心とする報道による被害者の権利を擁護する弁護士グループ 「報道被害救済弁護士ネットワーク (通称ランビック)」 である。
  被害者はかすかな期待を抱いて、11月6日未明、ランビックに被害を訴えるFAXを送信したうえ、翌7日朝、電話をかけた。

3.11月7日:事前調査
  相談があったとの伝言を受けた弁護士Hは、直ちに被害者に連絡をとり、記事を入手した。 一目で被害の重大性が分かるものだった。Hは、速やかに現地に出かけて交渉する必要性を感じた。 ただし、電話相談の場合、相談者が訴える被害が客観的には被害といえないようなケースもある。 そこで、Hは、事件に関与した警察に連絡し、大まかな事情を聴取した。 その結果、相談者の訴える被害が客観的なものであることが判明した。
  Hは、たまたま、ある行事で11月8日、9日の両日、日程を空けていた。 11月8日午前7時、Hは羽田空港で行事の行われる都市行きではなく北海道行きの便を待っていた。

4.11月8日:情報収集及び第1回・第2回交渉
  Hは北海道に午前10時過ぎに到着した。記事が法廷でのやりとりに基づくものであったことは明らかであった。 そこで、空港から市内までの車中でHは被害者から事情を聴取するとともに、検察官に連絡し、 冒頭陳述などの書面を入手できるよう手はずを整えた。被害者がそれまでに報道被害について熱心に訴えていたこともあり、 関係者は協力的であった。午後1時、Hは検察官及び弁護士からの資料・情報収集を終え、新聞社に面会の申出をした。
  1時間後、回答がないため、新聞社を訪問し、第1回の交渉が始まった。
  最初の交渉で、Hは収集した資料及び情報を全て開示したうえ、記事中の誤った部分を逐一指摘し、 記者の取材の粗雑さを明確にした。そして、可及的速やかな謝罪訂正記事の必要性を訴え、 直ちに取材記者から事実経緯を聴取するよう求めたうえ、記者からの事情聴取を受けた第2回交渉を当日中に行う確約をとった。
  Hは交渉が決裂した際に、翌9日に提訴し、記者発表するつもりで、被害者の陳述書作成作業に入った。
  夕方4時半過ぎ、Hの携帯電話が鳴った。午後6時に第2回交渉を行うこととなった。
  第2回交渉では、新聞社は取材の不十分さを認めたうえ、謝罪訂正記事を掲載する意思を示した。 Hは翌9日付での掲載を求めたが、すでに時間切れとのことで見送った。 全国紙であれば、社会面の締め切りは未明であるが、地方紙であり、仕方なかった。
  そこで、Hはゆっくり構え、被害者の要求を丁寧に説明することとした。
  被害者本人の最も強い要求は、@記者本人からこのような記事を執筆した経緯を聞きたいというものであった。 しかし、表現の自由に対する外圧を防ぐという新聞社の社内体制上、直接、記者から事情を聞くことは困難であることは分かっていた。
  次の要求は、言うまでもなく、A謝罪訂正記事の掲載であった。 もちろん、社会面トップで掲載された以上、ちっぽけな謝罪訂正記事では満足できない。 それなりの場所に、それなりの大きさで掲載するよう求めるとともに、 内容についても、間違えた記事を掲載した経緯、被害者の名誉が毀損されたことの指摘、 会社としての謝罪・反省を盛り込むように要求した。
  最後に、B一定の損害賠償をすることを求めた。
  新聞社は、Aについては、翌日午前11時までに謝罪訂正記事の校正刷りを作成することを約束し、 @について検討する旨回答した。しかし、Bについては、非常に抵抗を示すとともに、 損害賠償請求権を放棄するよう求めてきた。新聞社いわく、Aによって非を認めて謝罪するためには、 その後裁判で損害賠償を求められるという心配をなくしたいとのこと。Hはしばらく粘ったが被害者と協議の上、 翌日に謝罪訂正記事の校正刷りを確認し、十分なものであれば、金銭的要求はしないこととした。

5.11月9日:第3回交渉
  翌9日午前11時、Hは被害者とともに新聞社の謝罪訂正記事の校正刷りを確認した。 「名誉毀損事件報道を謝罪」 という見出し3段、囲み6段で、社会面の漫画の下に掲載するとのことだった。 この種のものとしては異例の量、内容であった。さらに、被害者とHが細かく内容をチェックし、修正を要請すると、 新聞社は全面的に応じた。そこで、金銭的要求は撤回した。
  しかし、新聞社は記者による説明を拒否した。そこで、Hは被害者と協議し、 今後、新聞社に苦情の相談窓口を設け真摯に対応する態勢を整え、その結果をHに報告することを約束させた。
  午後2時、校正刷りを添付した示談書の調印を終えた。
  翌10日朝刊には約束どおりの記事が掲載された。 2001年7月に発足したばかりのランビックにとって初の大きな成果であった。

※ランビックの連絡先:03−3351−6066(FAX兼用)