司法による救済の重要性
−NHK番組改編事件控訴審判決について−
 
飯田正剛 (弁護士)

  はじめに

  東京高裁第17民事部 (南敏文裁判長、安藤裕子裁判官、生野考司裁判官) は、2007年1月29日、いわゆる 「女性国際戦犯法廷」 NHK番組改編事件において、 原告バウネット・ジャパン (「戦争と女性への暴力」 日本ネットワーク。西野留美子・東海林路得子共同代表) の訴えを認めて、 被告NHK、被告NEP (NHKエンタープライズ) 被告DJ (ドキュメンタリージャパン) に対して、総額金200万円の損害賠償を認める判決を言い渡した。

  第1審判決 (東京地裁2004年3月24日、判例時報1902号71頁、判例タイムズ1181号268頁) が、被告DJのみに対して、 金100万円の損害賠償しか認めなかったことに比べて、実質的に、原告ら (バウネット・ジャパン、松井やより訴訟承継人西野留美子) の請求を認めるものであった。

  今回の控訴審判決をめぐっては、さまざまな論点があるが、ここでは、次の3点に絞って、論じることにする。 第1に、期待権 (信頼利益) について、第2に、いわゆる 「政治家の圧力」 について、第3に、控訴審判決の報道についてである。

  期待権 (信頼利益) について

  控訴審判決は、「原告らの本件番組についての期待と信頼」 と明示して、概要、次のような判断をした。
  「取材対象者が取材に応じるか否かは、その自由な意思に委ねられており、取材結果がどのように編集され、あるいはどのように番組に使用されるかは、 取材に応じるか否かの意思決定の要因となり得るものであり、特にニュース番組と異なり、本件のようなドキュメンタリー番組又は教養番組においては、 取材対象となった事実がどの範囲でどのように取り上げられるか、取材対象者の意見や活動がどのように反映されるかは取材される者の重大関心事であることから、 このような両面を考え合わせると、番組制作者の編集の自由と、取材対象者の自己決定権の関係については、取材の経過等を検討し、 取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して、取材者の言動等により取材対象者がそのような期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは、 番組制作者の編集の自由もそれに応じて一定の制約を受け、取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきものと評価すべきである。 そうすると、このような期待と信頼を故意又は過失により侵害する行為は、法的保護の違法な侵害として不法行為になると解するのが相当である。」

  ここで認められた 「期待権」 (信頼利益) という法的構成自体は、前述の東京地裁判決も認めていたものであったが、 前述の通り、東京地裁判決は被告DJに対してのみその侵害責任を認めただけであったが、控訴審判決は、被告DJのみならず、 被告NHKや被告NEPに対してもその侵害責任を認めた。

  このような 「期待権」 (信頼利益) の法的構成は、原告ら弁護団 (大沼和子、中村秀一、緑川由香、日隅一雄各弁護士、私) が、 本件訴訟を提起する上で最も苦心したものであった。というのは、第1に、本件では、従来の名誉毀損、プライバシー権侵害、侮辱 (名誉感情の侵害)、 肖像権侵害などの法的構成では十分に法的保護を受けられないと考えられたからである。 弁護団としては、本件の事案に沿った新しい法的構成を作り出すことが求められたのであった。 第2に、取材対象者や番組制作協力者の期待や信頼を強調しすぎると、政治家や官僚などが悪用・濫用して、不当に取材の自由・編集の自由を侵害する危険があり、 両者のバランスをはかる法的構成が求められたからである。

  弁護団は、全員、「ランビック」 (報道被害救済弁護士ネットワーク) の会員弁護士であるが、私を除く若い弁護士らは、 前述の2点の問題点を十分に意識しながら、「期待権」 (信頼利益) という新しくバランスの取れた法的構成を作り出したのであった。

  東京地裁も東京高裁も、このような 「期待権」 (信頼利益) という新しい法的構成を認めたのであるが、最高裁がどのような判断をするのか、 全く予断を許さない状況である。

  いわゆる 「政治家の圧力」 について

  控訴審判決で最も注目されたのは、いわゆる 「政治家の圧力」 の有無である。長井暁氏の 「内部告発」 によって、 本件番組の放送直前における 「異常な編集過程」 が明らかになったことにより、事前の政治家の 「面談」 がどのように判断されるかが、大きな争点となったのであった。

  控訴審判決は、「政治家の圧力」 を明示して認めたものではない。しかし、控訴審判決は、「政治家の圧力はなかった」 とも明示していないのである。

  控訴審判決は、「面談の際、政治家が一般論として述べた以上に本件番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、 証人松尾及び証人野島の各証言によってもこれを認めるに足りず、他に認めるに足りる証拠はない。」 と判断した。 ここだけを取り上げて、控訴審判決は 「政治家の圧力」 を認めなかったという理解をするのは、誤りである。

  というのは、控訴審判決は、本件放送前、「安倍官房副長官は、松尾らに対し、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、 一審被告NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。」 と事実認定したばかりか、 「松尾と野島が相手方 (政治家のこと。注記飯田) の発言を必要以上に重く受け止め、 その意図を忖度してできるだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、その結果、そのような形へすべく本件番組について直接指示、 修正を繰り返して改編が行われたものと認められる。」 と判示した後、(1) 国会担当の野島直樹の指示、(2) 伊東律子の発言、(3) 松尾武の朝日新聞記者への答え、 (4) 政治家と関係する関係団体の動向に言及していることから、「政治家の圧力」 を認めたと理解するのが、控訴審判決の全体の趣旨に沿うものと考えられるからである。

  控訴審判決の報道について

  前述の通り、控訴審判決では、いわゆる 「政治家の圧力」 の有無が大きな争点となった。
  控訴審判決は、「政治家の圧力」 を明示して認めたものではない。しかし、控訴審判決は、「政治家の圧力はなかった」 とも明示していないのである。
  ところが、NHKは、控訴審判決当日の夜のニュースにおいて、「控訴審判決は、「国会議員が具体的に番組に介入したとは認められない」 と指摘しました。」 と報道した。

  しかし、このような報道は、「誤報」 である。 つまり、前述の 「判決文」 (「面談の際、政治家が一般論として述べた以上に本件番組に関して具体的な話や示唆をしたことまでは、 証人松尾及び証人野島の各証言によってもこれを認めるに足りず、他に認めるに足りる証拠はない。」) のみを強調して、 控訴審判決全体の趣旨を無視した理解に基づいて、一方的に、「政治家の圧力」 はなかったという印象を与えるような報道を行ったのである。

  繰り返し述べるが、控訴審判決は、「政治家の圧力はなかった」 と明示しておらず、むしろ、控訴審判決の全体の趣旨に照らせば、 「政治家の圧力」 を認めたと理解すべきなのである。

  ここでは、NHKが、本件訴訟の当事者であるにもかかわらず、「当事者の主張」 と 「報道機関の報道」 とを峻別せずに報道したことの倫理的責任が問われるべきである。

  そして、この問題点は、長井暁氏の 「内部告発」 をめぐるNHKと朝日新聞との論争におけるNHKの報道の問題点と全く同一である。

  おわりに

  週刊文春の 「田中真紀子議員の長女の離婚記事」 に関して、東京地裁がいわゆる出版差止の仮処分を認めたことに対して、 マスコミの大部分は、「表現の自由」 を旗印にして、差止仮処分批判の 「大合唱」 をした。

  このとき、ランビック (報道被害救済弁護士ネットワーク) の代表である坂井眞弁護士とその会員である私は、その 「大合唱」 に対して、 いわゆる 「報道被害」 に対する司法による差止の重要性を強調して、ささやかな抵抗を示した。 私は、マスコミの 「大合唱」 が、差止仮処分の不当性を強調するあまり、あたかも報道被害に対する司法的救済まで全否定するかのようなマスコミの論調に対して、 大きな危機感を覚えて、 プライバシー権侵害に対する裁判所の差止仮処分が最後の救済として重要であることを強調した (「司法的救済の回路を閉じるな」 『論座』 2004年6月号)。

  今回の控訴審判決は、報道被害とは異なるものの、取材・報道現場における市民の 「信頼・期待」 を法的に保護したという観点から、重要な意味をもつと考える。
  つまり、いずれも、例外的場合であっても、司法によって、報道被害に対して差止仮処分が認められ、また、取材に対する信頼・協力が保護されることは、 表現の自由に対する 「脅威」 と位置づけるのではなく、「市民の自由としての表現 (報道) の自由」 を実質化するものとして、 考えるべきではないだろうか (参照、梓澤和幸 「報道被害」 (岩波新書、2007年))。

(「マスコミ市民」 (2007年3月号))