〈エッセイ〉
テレビ東京窃盗団報道問題について
・弁護なければ逮捕があった──報道被害における弁護士の役割──



弁護なければ逮捕があった ──報道被害における弁護士の役割

弁護士  飯田 正剛

  6月1日夜、松本市にある永田恒治弁護士の事務所をランビックメンバー4人で訪ねた。 7月13日にランビックが主催する報道被害のシンポジウムのパネリストである永田弁護士と河野義行氏との打合せのためである。 そのときのことを報告したい。

  永田弁護士は、松本サリン事件ですさまじい報道被害の中、冤罪を晴らした河野義行氏を弁護した人である。 しかし、その弁護活動はあまり知られていない。私も、今回永田弁護士とお会いするまで、 弁護人がいたことを具体的なイメージをもって考えたことはなかった。 最近「日本の黒い夏―冤罪」という映画ができて、94年当時のことが取り上げられたが、 永田弁護士曰く、「余りの内容に驚愕し、これは違うぞと叫びそうになった」 (永田恒治著『松本サリン事件 弁護記録が明かす7年目の真相』) とか。 そんなわけで、ここはぜひとも弁護人及び河野氏ご本人から、真実を聞かせていただきたい、 と興味津々でお二人に事件当時の話をせがんだ。

  94年6月27日に、松本サリン事件がおきて、河野氏自身も重篤な被害を受け、7月28日まで入院治療することになった。 警察からの厳しい事情聴取を受けたのは、退院の翌々日7月30、31日だった。 当時、河野氏の病状は回復しておらず、発熱、発汗がとまらない中での取調べだったという。 実際には、もうしばらく入院加療するつもりだったのだが、病院が 「犯人をかくまっている」 という地域の圧力の中で、 永田弁護士の要請に応えず、退院させてしまったとのことである。このような地域の圧力も報道被害の中でおこったものである。 ご本人の生命・身体の危険の問題のみならず、退院によって事情聴取が可能となったことを考えると、 単なる名誉毀損にとどまらない報道被害の大きさ、深刻さを感じた。
  7月30日、31日の事情聴取のドキュメントは、私も報道等で多少の知識があった (ポリグラフ検査をした等) が、 河野氏自身の口から聞くと、臨場感があり迫力がまるで違う。病状から1時間のみの事情聴取を、 という診断書を持参したのに、警察は7時間半にもわたって河野氏を事情聴取したこと。 また、同じ時間に河野氏の息子が警察からひっかけ尋問を警察から受けていたこと。 取調べ担当した吉池という刑事は、髪が短くそり込みを入れた強面で、「姿勢を正せ! お前が犯人だ!」 と自白を迫ったこと。 河野氏自身はその異常事態に、まるで現実感がなかったこと。 取調べを受けるまで河野氏は、マスコミが悪いと考えており、警察から犯人扱いされるとは思っていなかったこと、 など話は尽きない。
  一方永田弁護士は、警察やマスコミ対応はもちろんだが、サリンが使用されたことが判明した以降、 徹底的に科学的にサリン生成が河野氏に可能かどうかを調査するのに力を注いだ、ということだった。 当時は研究者による 「サリンはバケツでできる」 などと無責任なコメントがまるで客観的に正しいかのように流されていた。 もし 「まず手に入れることは不可能な直前物質があれば」、という前提があれば、確かにサリンはバケツでもできるそうである。 しかし、この前提があるかないかで河野氏の実行可能性が違ってくるのだから、 この前提を抜かしてあたかも会社員でもサリンが生成できるかのように報道することは、虚偽報道に他ならないと私は思った。
  時間の関係上、詳しい弁護活動についてはお伺いできなかったが (その辺りは今度のシンポジウムでじっくりと)、 当時、永田弁護士の許には松本サリン事件は CIA の仕業であるという内容の匿名手紙が届き、 CIA をオウムと置き換えるとあながち的外れではなかったとか、 事務所にも河野氏の入院先にもマスコミが張り付いていたために女性事務員を連絡係にしていた、 等の実践的な裏話を聞かせていただいた。
  7月30日、31日に河野氏が警察の事情聴取を任意に受けたことについては、 その弁護方針について永田弁護士を批判する向きもあった。 しかし、永田弁護士は、「それは現場を知らない人の言うこと。 大本営と同じ。当時は、これを拒否できる状況ではなかった。もし拒否すれば、おそらく逮捕があったろう。」という。 もし、逮捕されれば、その後の研究者の無責任な発言、マスコミの報道はさらに加熱し、冤罪が発生していたに違いない。 弁護人のぎりぎりの方針判断の重大さを感じた。
  永田弁護士は私たちに 「弁護士はヒーローになってはいけない」 というメッセージをくれた。 今度のシンポで、どんな話をしてくださるのか、とても楽しみである。